#15 教養の英訳、liberal artsもeducationもなんかしっくりとこない

前のブログで素通りした教養、について僕なりの見解を示したいと思います。

まず大前提としては自分が教養あるとか微塵にも思ってないし、まだまだだなと思うことが多々あります。でも意識して身につけよう、その努力をしようとは思っています。では教養とはなにか。

それは 経験知 だと思ってます。

どんなことを経験して、それについてどう感じたり、思ったか、それを自分のものとして咀嚼して、言葉で説明できるか。

もちろん自分が実際見聞きした体験とか、本や映画の疑似体験も含まれると思うし

(だから楽しみ方としてより当事者意識を持つといいと思ってる。当事者意識とか言うと難しく聞こえるけど、自分ならどうするか、とかこういう場面ではこういう行動もアリなのか、とか こういうファッションいいね!とかでもいいと思う笑)

芸術に触れたり、人生の先輩の話をきいたりすることとかも。

単純に考えてみても、毎日部屋にこもってダラダラしてる人よりいろんな国にいったことがある人の話の方が聞いてみたいし、絶対面白そう。

教養ってユーモアとかにも関係してると思う。

同じ環境に留まるのは明らかにラクだとは思うけど、得られるものの上限・幅・厚みは決まっている気がする。

だから常に自分はいろんな経験をしていたいし、そういう経験ができる環境に身を置きたいと考えています。

おもしろそうと思ったら、やってみる(WANIMAの新曲じゃないですよ笑)

危険そうなら、リスクと得られるものを天秤にかけて、でもとりあえず相当危なそうでないなら、やってみる。そういう経験って確かにリスクも伴うけど、絶対"美味しい"と思う。少なくとも人に話したら、おもしろがってくれそうな話だと思う。そういうスタンスでいたいなと思います。

 

そして自分から働きかけたら、環境は応えてくれるんやなということを最近身にしみて実感します。

 

一回生のとき、外れに外れた東南アジアのアイラス。でもこの前タイに行ってきて、そのことを教授に報告しに行ったら、ほかの教授とか院生紹介してもらって、研究室伺ったり、ごはんに連れて行ってもらってるうちに、今まで全く考えてなかった、アジアアフリカ研の院進が選択肢の一つになったり、海外転勤ある会社がいいかも、とか思うようになりました。どうするかは全く未定ですけど、面白い選択肢が出てきたなと思ってます。これはそもそもタイに旅行に行ったこととか、教授や院生に話を聞きに行った結果だと思う。

 

 

確かに教養ってはかりにくい。でも教養って話や行動の節々に、現れる。悩み相談されても自分に、教養がないと、それは辛いなーーとかあっっさいアドバイスしかできないと思う。

自分が尊敬してる大人たちはそう。話が、文章が、面白いし、もっと聞きたい、読みたい、と思わせてくれる。そうなったときはもう一種のファンで、だから教養は人を惹きつける。というかもう教養ある人って顔でわかる気がする。美貌、とは違う、大人で魅力的な顔をしていると思う。だから自分もそういう大人になりたい。そう思われたい。

しかもその教養を身につける営みには終わりがない。だから驕ってしまえばそこで終わり。ある意味、勉強し続ける、継続力のことだとも思います。そして新しい経験知の渇望、好奇心でもあると思う。

で、自分がピンチのとき、一世一代の重要な決断を迫られてるとき、

頼りになるのはなんだかんだ自分自身、自分がどう考えて生きてきたか、つまり自分の教養だけだと思います。なにかあるたびに経験知を演繹して、また帰納して。そうして教養が出来上がると思う。

 

ちょっと自己啓発みたいにうるさくなったと思うし、所々言ってることバラついてるとは思うけど、とりあえず今教養についてはこんな感じで考えています