#9 映画や小説について

 

 

少しだけ映画や小説について書いてみようと思う。

フォロワーなら知ってると思うが僕は観た映画や読んだ小説について感想ツイートする習慣があり、一部のフォロワーには鬱陶しがられてるだろうなと思いつつもミュートしないでいただけたら幸いです。特に知り合いにミュートされてると悲しみます。 

(ちなみに映画ツイートの評価の判断基準は

★★★★★ 観た中でもトップクラス

★★★★☆ オススメ!

★★★☆☆ こんなもんかな

★★☆☆☆ まあもう見ることはないでしょう

★☆☆☆☆ 時間と金の無駄

でつけてます。参考までに)

 

なぜツイートしてるかについて。Twitterは自分の中で日々の記録みたいな媒体でもあるので備忘録として残しときたい。まあ一応アプリでも感想は残しているがTwitterの方がよく使うし振り返れる。自己顕示欲や自己満足の側面も否めないけど、ツイートすることでフォロワーの方が「自分もあれ観た!面白かったよね」とか「自分はそうは思わなかった」とか話が広がることを期待してたりもする。感想大歓迎です。

 

僕はちょうど一年前くらいから意識的に映画を見始め、記録をつけてから100本以上観てきた。映画は無限にあり、在学中に出町ツタヤの映画を制覇するのが夢なのでまだまだである。

今大学生って自由な時間多いけど、意識的に作品に触れようとしないと時間ばかりが経って行くし結果何もしないままのことが多い、だから今のうちになるべく多くの映画や小説に触れておきたいと思ったのが始まりである。

あとになっても触れることはできるけど、20代の今触れることは当然ながら今しかできない。20代の自分だからこそ心の琴線に触れる作品もあると思う。だから今少しでも多くの映画や小説を浴びるようにして触れていきたい。少し高尚なことを述べたが単純に映画や小説が好きで、2時間や3時間で何か得れた気になるのがいい。映画や小説はもちろん読み手に自由な解釈が許されてるし、だから感想は自分の言葉でまとめたほうがいいと思ってる。なるべく安直でわかりやすい言葉に流されないように。圧倒的な感動の前に言葉は無力ではあるけれど、それに近付けることはできると思う。今後、少しでも思ったことや感動を伝えたり再現できるようにできたらいいなと思う。だから先ほどのツイートの話にもつながるのである。面白かったなぁだけやと忘れてしまうから少しでも忘れないようにとの意味合いもある。でもたまには他人の意見や評論も読んで、こんな意見もあるのかとかそうそうこうやんな、とか確認することと大事なのかなぁと思う。偏らないためにも。

 

映画や本を選ぶ作業はワクワクする。だから一週間のうちで一回も本屋とレンタルビデオ店に行かない週はない。もちろん借りたり買わずに帰ることもある。一枚、一枚または一冊、一冊手にとっては説明を読んだりして、じっくり決める。本好きや映画好きにはわかってもらえると思うが、その作業込みで映画や小説は成立すると思うし、気がついたら小一時間経ってることもザラにある。これにはどんな世界が詰まってるのだろうと考えるとなかなか決められないのである。

 

映画についてもう少しだけ。

映画が人生を変えたり、人生観に影響したりすることはそうそうない。100本に1本もないと思う。でもそれくらいの割合で本当に面白かった!と思える映画と出会えるのも事実。自分だけが面白いと思えるような映画も存在する。反対にこれ世間では面白いと言われてるのにつまらなかったなぁというのももちろんある。普通・普通に面白かったくらいの感想のものが大半だとは思う。

でも少なくともこれだけは言えるのは自分が知らない世界を見せてくれるし、入り込めば入り込むほどその場にいるような臨場感を味わえると思う。その分悲しくなったり、怒ったり、時には主人公とともに喜んだり、最後に大きな感動に包まれたり。とりあえず自分が経験できないような、人生や世界を見せてくれるし体験できる。だからやめられない。

 

 

僕は映画をパソコンに入れ、オープニングと共に、

「これからどんな世界を見せてくれるのだろうか。どんな人生を体験できるのだろうか」とワクワクするのである。

 

 

 

 

#8 コンビニの楽しみ方

 

 

コンビニが好きだ。

コンビニで働いてもう1年4カ月になる。

職場の人間関係に居心地の良さを感じているのも否めないけど、

なんだかんだコンビニが好きだから続いてるみたいなところがある。

(とは言いつつも最近は辞める時期を模索しつつある。そろそろ別のバイトもしてみたい)

今日は自分なりのコンビニの楽しみ方を披露してみようと思う。

 

まず個人的にはファミマによく行く。

Tポイントがたまるからであり、10月15日現在で9000ポイントを超えている。

まあそれでもセブンイレブンやローソンもよく行くし、ポプラなど見つけると少しテンション上がったりさえする。珍しい商品に出会える可能性が高いからである。

 

 

初めて入るコンビニでは

どんな人が働いてるのか(可愛い店員はいるのか

店員間の雰囲気はどんな感じか

イートインはあるのか?

店やトイレは綺麗か?

商品棚はどう配置されていて、どこに何があるのか

FF商品(ファミチキとかである)のストック数はどれくらいなのか

自分がここで働くとしたら?

自分の店には置いてないけどこんなん置いてるのか〜〜

とか見るところはたくさんあるし

いつも行くコンビニでも

今日はあのいつもの綺麗な店員さんいないかな〜〜とか横目で確認する。 

 

そして商品。

これはよくみると売れるための試行錯誤が結構なされてて面白い。

たとえばこの前○ーソンに行った時の話。

バイト前に食べるパンを探してたら、

「ちぎれる〜パン」シリーズが目に入った。

これはよく考えてみると少しおかしい。

ちぎれないパンは言うてないからである。

言うほどのことでもない。

このパンは確かに区画分けされててちぎりやすく

小分けしやすくなってて、そこをアピールしたかったのだと思う。

けど「小分けしやすい〜パン」や語呂がわるいししっくりこない。かといって「ちぎりやすい」だとちぎれない時もあるのか?とかなってしまう。こうした苦悩の果てにちょっとおかしい日本語が生まれてしまったのだなあと思いながら、僕はおにぎりをレジに運んだ。 

 

  

他にも自分でおいしいと断言しちゃう超ナルシスト系牛乳「おいしい牛乳」だったり、

スイーツチーズではなく「スウィーツチーズ」で高級感、違いがわかってる感出そうとしてるチーズなど、

よく読んで考えてみると面白い。これからも面白い名前の商品を探したい。  

 

売れる工夫としては同じ商品でもパッケージを変えることで目新しさを出したり、この商品買えばポイントがさらにつく、といった商品を設けることで、購買意欲を掻き立てたりなど様々である。

 

また新商品はバイト中、品出しや納品作業時にいやでも目につくから、バイト終わったらこれ買って帰ろ〜〜とかいうことはザラにある。

 

そもそもコンビニの商品は入れ替わりが早い。まさに戦国時代である。一回仕入れがなくなったと思ったらまた入ってきたり、その分野で 不動の地位を築いてたかと思えば、下克上されたりと様々。逆に言えばずっとある商品はなんだかんだ売れてるし強いのである。

 

そしてレジ。

レジではいくら待っても、いくら向こうに不手際があっても、イライラしないことを心掛けている。店員が忙しそうな時や、ファミポートやアマゾン、宅急便の時は少し申し訳なさそうにする。

これは自分が店員の時、ありがたいし失敗しても笑って許してくれる客に救われるからである。そもそもイライラは伝染する。

また忙しい時に俺は客だと言わんばかりにポーンと商品やレシートを、置かれるとイラっとするからである。

またなるべくありがとうございますを言うようにしてる。これはまた別の機会に書こうと思うが、コンビニ店員は底辺だと思い、ぞんざいに扱う客も少なくはない。

だから僕は感謝を伝えることで

口に出さずとも心の中で僕もコンビニ店員です、あなたの気持ち痛いくらいにわかります

というメッセージを送っている。

 

 

 

 

多分届いてないけれども。

 

 

 

 

 

 

 

今度また違う機会に個人的に好きなコンビニのメニューを紹介したい。今回は一つだけ。

 

コンビニおでん

これはどこでも結構美味しい。マストバイは糸こんにゃくとたまごかな。冬のバイト終わりに食べるおでんは本当に最高である。またそういう季節がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

今日もコンビニで6時間働いてきた。

特に何もトラブルなく終われたし、常連さん達とも会話できたから今日はいい眠りにつけると思う

コンビニ店員としての苦悩は日々Twitterに垂れ流してるが、ブログにもしてみようと思う。でもそれはまた別の機会に。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#7 イヤホンがないと生きていけない

 

イヤホンが無いと生きていけない。

外出するときは大抵音楽を聴きながら移動する。

ジャンルは基本的にあまり問わない。

自分が良いなと思った曲をひたすら聴く。

イヤホン忘れて家出たときは遅刻してまで取りに行くか安いイヤホン途中で買ってしまうくらいには依存してる。

 

イヤホンがないと少し落ち着かない。

イヤホンがあると安心する。

マスクが外せない女子高生いるけど少し似てるかもしれない。

けど別に周りとの会話を拒んでるわけでは全くないので会った時はイヤホン外したり小突いてくれて大丈夫です(笑)

 

『はじまりのうた』という映画の中に

音楽によって平凡な風景が意味のあるものに変わるというセリフがあった。

観てて、これやなぁと思った。

街歩いてても聴覚が音楽で支配されてる分、

周りのカップルの会話とか男子高校生達の馬鹿話を想像したりする。周りの人をよく見るようになる。それで勝手に満足するのである、

「あぁこの人たちは幸せなんだなぁ」と(笑)

 

日付変わって昨日映画を観てきた。

 映画の内容の詳細はここでは省くが、

完全に満足した僕は

「はぁ〜よかった〜 iTunesで主題歌ダウンロードして電車の中で感想言葉にするか〜」なんて

思いながらエレベーターに乗っていた。

しかしふと気づく。イヤホンがない。

そこで一瞬で思考を巡らせ、移動した場所や最後いつ使っていたかを顧みた結果、

映画館の座席付近に残ってるとしか考えられないという結論を出した。

これで残ってなかったら諦めよう。

そう思いながらエレベーターを待つよりも

階段の方が早いと思い駆け出した。

受付の人に事情を説明し中に入れてもらうと案の定、コップを置く台(?)に絡まっていた。

これで音楽と帰ることができる。

安心し、イヤホンを装着した時映画の余韻も相まって厚かましくも少し思ったのだ。

 

「今のちょっと映画っぽかったなぁ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん今考えて見ると全くもってそう思わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#6 飲み会を考える

 

少しだけ飲み会について書いてみようと思う。

 

飲み会は仲良い何人かと飲むのが一番楽しい。これはもう間違いない。

もっと言えば一つの話題が共有できる規模(二つ以上の話すグループができない)

がいい。

これくらいの規模で、くだらない話ししたり、急に真面目な話しになったりするのが大学生っぽくていいと思う。

 

そういう意味で仲良いクラスの何人かの中で、

誰かが誕生日迎えたら、誕生日会と称した飲み会を開き、

誕プレは○Vが暗黙の了解、一次会は庶民的な居酒屋に行って、

二次会は鴨川デルタで飲む。

林はMr.パイ返し(旧名 【悲報】河ゆ、かわいい)メンバーで良かったと思うし、卒業してからもこのメンバーで集まって飲み会したいと純粋に思う。

 

 

そうじゃないときの飲み会。

そうじゃない飲み会は"自分の居場所を探さないといけない"ものと思ってる。もうすでに発想が堅苦しいし飲み会向けじゃないのもわかるけど、主張としては

仲良い人らと飲む時は誰がどういうキャラとかもわかるし、立ち振舞いも

いつも通り。その場の空気感もわかってる。

でもそうじゃないときは多かれ少なかれ疎外感を勝手に感じてしまうため、あと何時間どういう風に過ごそうかなと思ってしまう。誰とどんな話すれば意気投合できるやろ、とか他のみんなは仲良いんかなとか早く帰りたいなあか思ってしまう。

そもそも隣にいる人はどういう人か知らない可能性さえ高い。

よく知らない人と仲良くなれたり、あとでいってよかったなと思うことはあるし、

それでも根が暗いと事前の心理的なハードルが上がってしまうのである。

 

 

個人的にお酒飲むのは強くはないと思うけど、嫌いじゃないしそういう時にしか弾まない話したり、人生について話したりするのはむしろ好きである。 

お酒飲んで話すのは楽しい。それでも飲み会についてこう思ってしまう側面を否定しきれないため、自分も気をつけようと思うのであった。

 

ここまで考えてああ自分は飲み会苦手な星の人なんやと思う。

これから苦労するとは思うけど、少しづつ慣れて、身のこなし方少しずつ学んでいけたらと思う。

 

少しといいながら思いのほか長くなった。明日はバイトのなのでもう寝ようと思う。

 

それにしても昨日の飲み会は楽しかったなぁ

 

 

 

 

 

 

 

#5 胃がイタリア語について

 

前回は汚い話を全世界に向けて公開してしまったので今回は普通の話にしようと思う。

 

イタリア語について。

 

金曜四限。これが憂鬱で仕方ない。

イタ語しか話せないイタリア人ことリモンジェッリがスパルタ気味に授業する90分。

しかも風貌がスキンヘッド+タトゥー?でなかなか厳つい。

イタ弱にとっては腹痛にも勝るとも劣らない苦痛である。

 

昨日はまずプリント4枚配られた。

手でものを払いのけるようなジェスチャー

教科書や辞書、携帯を片付けろということである

「コミンチャーレ〜…」

聞き取れなかったが問題ない。解きはじめろということである。

とりあえず解きはじめて20分ふと疑問が生じる。

「これ何解けばいいんや…?」

確かに選択肢を選ぶ問題は数問ある。しかし15分もあればできるようなレベルで、あと載ってるのは会話練習とかリスニング。

早くも終わった学生が顔を上げて様子を伺っている。

自分も前の人の答案をチラ見してみるがまだ解いてる様子である。

とりあえずポケットに忍ばせていたスマホを取り出し、呟く「あと63分」

スマホをしまい、顔を前に上げてみる。

イタリアマフィアがこちらを伺っている。危ない。僕は何事もなかったかのような顔でプリントを睨む。

僕は偶然目があったそんなに仲良くない学生と無言のアイコンタクトを続けてるうちに彼もこの時間を持て余してることに気がついた。疑問が確信に変わった瞬間だった。

そうしてしばらく解いてる感を出しつつも白黒コピーの絵にぬりえしてると隣の子が寝始めた。やはり解くべき問題はそんなにないのだとここでも確信する。

45分あたりであろうか、リモンジェッリがみんなに尋ねる。

「…アイ フィニート…?」

終わったかということである。

少しでも授業されたくない僕達は無言で通じ合った。みんな解き続けてる"フリ"を続けたのである。その後はジリジリと時が過ぎて行くのを待ちかながら「あと45分」「あと21分」とこまめに呟き、かつリモンジェッリに怪しまれないよう「この問題、思い出せそうなのにどうしてもわかんないんだよね〜★」感を出す。

ラスト数十分でリモンジェッリが新しいプリントを配り始めるももう後の祭り。今日のスパルタ会話練習がないのが確定した瞬間である。

 

僕は勝利と90分間の無生産を噛み締めながら

「わからんかったところは家に帰って調べてやればいいやー」と思ってたところ、

プリント回収のジェスチャー。終わった。

『わからないのにひたすら当て続けられる憂鬱』その試練は来週に引き伸ばされたのである。

 

しかしそれは一週間後

僕は帰りの用意をしながら「今週末映画なにみようかな〜」

なんて最高の開放感に包まれていた。

 

帰り際、リモンジェッリに、

「Arrivederci!!」

それはもう心の底からの笑顔で言えていたと思う。強制収容所からの退却さながらである。

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

イタリア語自体は好きで、イタリアが好きなのは間違いない。

イタリア語を選択した理由は以前Facebookにも書いたが

「イタリアの呑気さに憧れがあったから」

人と違う言語を選択したい欲望も否定しきれないが

純粋にイタリア文化が好きだった。

 

一回生のうちはなんだかんだ楽だった。

金3金4と連続であることを除いては。

授業で観た『La vita è bella (Life is beautiful )』は素晴らしく面白かったし、

イタリア人のネンチェッティ先生も日本語理解できるからなんとかなった。

 そんなぬるま湯に、二回生になるとイタリアから最強の刺客が送られてきたのである。

彼の特徴はなんといってもイタリア語以外で意思疎通を図れない。

当てられてわからない状態が続くとキレるのである。しかも逃してくれない。

 

こうして毎週金曜日が近づくと胃を痛め、

金四が終わった瞬間は開放感に包まれるのである。

 

 

 

イタリア語選んだ代償は意外にも大きかった。

 

 

 

 

 

#4 腹痛耐久記

 

数少ない自分が尊敬する友達が腹痛についてブログを書いていたので自分も書いてみようと思う。

 

腹痛、それは予期しないような状況で訪れることが多い。そして大抵トイレが遠いことが多い。あの耐え忍ぶ苦痛はそうそう経験できるものではない。

 

まず考えられる絶望的状況が阪急の特急。

トイレがついてない。

催してきたらまず○門に意識を集中させ、足をクロスし肛○を締める。 常備してるビオフェルミンを飲む。ビオフェルミン信者にとってのプラシーボ効果みたいなもん。

聴いてる音楽にイライラしてくるからイヤホンを外す。

だってこっちが生死をさまよい社会的な死を避けようと頑張ってるのに

「わ〜たし さくらんぼ〜」なんて聞くと

お前はさくらんぼじゃねぇ!と思ってしまう

 少し余裕があるなら経路検索であと何分で次の駅に着くかを計算する。

駅に着いてもドアが開いた瞬間走り出すようなヘマはしない。意識を集中させ締めていた○門が緩んでしまうからである。慎重かつ迅速にトイレへと直行する。そういう時は大抵トイレは空いている。トイレの神様はちゃんと見てくれてるのである。

そうして用を足しながら思うことは

「自分はまた一つ修羅場をかいくぐった。また一つ強くなれた」

 

高校の授業中や教習所の学科・技能教習もキツかった。手を挙げていくことが憚られるような雰囲気。あのキツさは経験したことない人にはわからない。

 

そして最もキツいと個人的に思うのが、

合宿でのバス、である。

朝早くに集合、完全な密室空間、車酔い…

腹痛の役満である。

 

トイレがついてるタイプのバスもあるけどそうそう巡り会うことはない。

 

まず朝ごはんを食べないのはもちろん、

出発前は何回もトイレに行き、お前は本当に大丈夫かと問いかける。もしヤバそうになってきた時は、なるべく寝ることに努める。眠ると、眠りにつく直前の状態で便意がセーブされるからである。だから便意の波の上限付近は耐え忍び、下限付近で気合いで寝る。もちろんサービスエリアで買い食いするようなヘマはしない。

 

 

バスとか電車に乗ってる時にお腹が痛くならない人は人生かなり得している

バスの中でサービスエリアで買ったパンとか嬉しそうに食べる人の気がしれない。ヨーグルトやコーヒーなどもってのほかである

 

 

結局なにが言いたいかというと

 

 

ビオフェルミンは神

 

 

 

なんの話やねん。

もうええわ。

 

 

#3 親の在り方を"少し"考える

お久しぶりです。

おそらくみなさん僕がブログしてたこと忘れてる頃だと思うのでここら辺で一つ思うことを

ブログにしたいと思います。

 

きっかけは二つの映画

『ミリオンダラーベイビー』と『湯を沸かすほどの熱い愛』

 

内容は割愛します(すみませんm(_ _)m)

二つともとてもいい映画なのでオススメしま

す。出町ツタヤで借りることができます笑

 

前者の映画では、

貧民街出身の娘が30代になってもボクサーの夢を諦めきれず、ウェイターをしながら続けてたところ花開いて、ブレイク。順調に勝ち続け、稼いだファイトマネーで親に一軒家を内緒でプレゼントします。喜んでもらえるだろうウキウキしてたのと対照的に、母親の反応は悪く、生活保護が受けれなくなる、など迷惑がります(図々しくも住むのですが)またボクシングで頑張る娘を一切認めず、恥さらしだとさえ言います。

 

また物語後半、試合の結果寝たきりになってしまった娘に対し労いの言葉をかけることなく、自分がラクすることだけを考え、娘の財産をぶん取ろうとさえするのです。もちろん娘の試合も見てません。

 

 

一方後者。

学校でイジメを受けてる娘が学校を休もうとした時、逃げてちゃダメと背中を押し、学校に行かせ、帰ってきたらちゃんと頑張ったねと褒める母親。

宮沢りえが母親役なのですが、これがまたいい母親で、娘役の杉咲花はあの母にしてこの素直ないい子あり、という感じです。いい娘です。

 

 

状況も全く違いますが、この二つの映画を思い出す時なぜかこのそれぞれのシーンが思い出されます

 

 

子供の時、やっぱり親に褒められたいと思って頑張ってたこともあったし、褒められたら嬉しかったし、(成基学園に通ってたのでよく小テストや模試の結果など見せてました)

努力にきづいてもらなかったりで褒めてもらえないとアレ?と寂しくなったものだったなぁと思います。

やっぱり実の親に褒めてもらいたい、喜ばせたい、というのはある意味普遍的な欲望なのだと思います。

頑張ったことを口に出して頑張ったねと言ってもらえることで、子供は初めて自分頑張ったんやなぁと実感するかもしれない。

親の褒め言葉や喜ぶ姿はとかに小さいころにはまた頑張ろうとする原動力になるし、自分は間違ってなかったと安心感を与えることにもなると思うのです。

みなさんも多かれ少なかれそうじゃないでしょうか

 

この二つの映画を通して思ったことは

将来もし子供を持つようになったらどんなことであれ、子供が頑張ったことに対して何であれ絶対褒めてあげようと思いました。親がまず最初に認めてあげないとなぁと思います。頑張ったねと口に出して。

 

 

ただ承認欲求を得ようとする行為が行き過ぎてしまうと他者の評価に委ねられ、自分本位に生きることができず、結果自己中心的な人物になりかねないので注意が必要だと思います

 

また欲しいモノで釣って頑張らせるのもあんまりよくない気がします 

 

子育てなんてまだまだ先の話、そもそも訪れるかさえわからないけどふとそういうことを思いました。

なんの話やねん(笑)