#23 外国語でジョークを言ってドヤ顔した話

カンボジアのホテルの外で一服してたときのこと。近くでトゥクトゥクのおじさんがいたが最初は特に気にもせず吸っていた。しばらくして彼がホテルからでてきた白人の老父婦にトゥクトゥク乗らないか!?と声をかけていたが見事にガン無視されていた。別によくあることなのにちょっと気の毒になった自分は(言いたがりの自分もでてきていたけど笑)

''He is shy''

と言った。そのとき彼は笑ってくれた。カンボジアンジョークが通じた瞬間である。

そのあと彼は息子の話をしてくれたり、僕のことを聞いてくれたりした。

名前さえ知らないけど、異国の地で少し心暖まったような出来事として記憶している。

 

タイで観光地を歩いてたときのこと。前方に中国人がいた。こう書いただけでもううるさい声が聞こえてきそうである。実際にうるさかった。だからタイ人の友達に

''Japanese are differennt from Chinese. They are noisy.''

と言った。その時も彼女は手を叩いて笑ってくれた。そのあとタイ語での言い方も教えてくれて、二人で言い合って盛り上がった。中国人ウザいネタ、ディスり芸はバンコク共通なのである。

 

別に二つとも特別面白いことを言ったわけじゃないけど、シンプルなことでも笑いをとれるという事実を再確認したし、あれは、外国人を笑わせられた、ジョークが通じたという自信にもなった。

そもそも語学的に凝ったことを言うことができない。一笑いあるとそっからのやっぱ話が弾みやすい。フックになってくれる。

笑いは世界の共通語、じゃないけど。

その場の雰囲気とかノリとかももちろん大事。

現地の言葉で言えた暁には、お、なんかやるやんこいつ、みたいな感じになる。(外国人が現地のスラングを使ったりすると大抵ウケるから言語学習のモチベにもなる)

僕のゼミの教授は外国人にこれを言ったらウケるみたいなのは持ってるらしい。これ言ったらウケるやろなというパターンの引き出しが多い人は強い。コミュニケーションの幅が広がるし、結果的に日本語でのコミュニケーションにも還元されると思う。

今のバイトは幸いにしても外国人と交流する機会は多い。だからこれからもライフワークの一つとして研究していきたい。結局何が言いたかったかというと、非日本語でジョークが通じたときはめちゃくちゃ気持ち良いということ。

 

もちろんではあるが何を言ってるんだこいつはと言うような目で見られながら、大スベりすることもある。

 

 

 

 

 

 

#22 大人になるということ1

最近タバコが美味しいと感じるようになった。

小さい頃からずっとやらないと思って来たし、

ダサいとさえ思っていたのに。

今でもカッコ良いと思ってることは全くない。

 

大人になるということは、やらないと思ってたことをやるようになることでもあるのかもしれない。染まらないと思っていたのものの、価値がわかっていくということかもしれない。

今はゴルフをやる大人はダサい、おじさんのすることだと思っているけど、そう遠くない未来ハマっているかもしれない。

 

そんな都合の良いことを考えながら、新幹線の狭い喫煙ルームで吸うタバコは数時間振りで、

とても美味しかった。

 

ボーナストラック

このブログを書いてる後ろでおじさんが客室販売のお姉さんにダル絡みしていた。本人達だけが笑っていたしかなり迷惑そうでちっとも面白くなかった。こんなおじさんにはなりたくない。もっとクールでいたい。おじさん達は故意でそうしてるのじゃなくて、多分若い女の人に接するノリがわかってないのだと思う。酔っていたというのもあるけど。 今はこうなりたくないと思ってるけど、こうなってしまうのかもしれない。スマートなおじさんでいたいのに、望む望まざるに関わらず、痛いおじさんになってしまうかもしれないの、いやそれキツイなぁと絶望的な気持ちで新幹線から雨が降る大阪の街を眺めていた。

 

 

 

 

#21 カンボジアで泣きそうになった話

カンボジアに行った時の話。

その日僕は友達と別行動でベンメリアというラピュタのモデルになったと囁かれている遺跡に向かった。トゥクトゥクで走ること約2時間。

車窓から流れるカンボジアの風景は見てて楽しかった。子供が裸で遊んでたり、平気で自転車三人乗り、四人乗りしてたりするのが見れるし、それはもうカンボジアそのものだった。

 

遺跡に着いた。トゥクトゥクの運転手はここに帰ってこい、待ってるからと目で話してくれる。ありがとう、と言って遺跡に向かった。

遺跡自体は退廃的で、冒険してるような気分が楽しかった。初めてこの遺跡を発見した探検家もこんな気分だったのかもしれないと思いを馳せた。ラピュタの元になったかは果たして疑問だ。誰が言い出したのだろう。写真見たい方は僕のインスタ(http://Instagram.com/gosyuinka1cho)みてください。

一通り見て、さて帰ろうと行きし降りた乗り場を探すも一向に見つからないし辿り着かない。

完全に迷子になったのだ。地元民に聞いても全く伝わらないし、GPSも機能せず、機能してもGoogleマップクメール語表記だからどこにいるか分からんから意味ない。喉もカラカラになりながら炎天下を歩きに歩いた。

本当に焦っていたし、泣きそうになりながら来た道辿っていたら、幸運にもなんとか帰れて、運転手が冷たい飲み物用意して待ってくれてたの見て、また泣きそうになった。

 

 

 

ボーナストラック

トゥクトゥクの運転手が帰り道、お腹吹田市と言ってきたので、自分も、と答えると

小汚い、いかにもカンボジアな定食屋(定食屋と呼べるのかもわからない体裁)に連れて言ってくれた。地べたで犬が寝てた。怖かった。(前日の夜ホテル周辺を一人で散歩してたら野犬に追いかけられていた。狂犬病怖い…)

ただそこで食べた焼き飯は本当に美味しかった。美味しいと伝えると、運転手はおうよ、みたいな感じで目配せしてきた。それだけで良かった。

帰り道、ジュースも買ってくれた。ココナッツ?だと思うけど甘かった。旅中盤、心身共に疲れていたから、とても甘かった。

帰りオールドマーケット付近で降ろしてくれた。一緒に写真を撮ってもらい、ありがとう、またカンボジアに来た時に会おうと言って別れた。そんな出来事もあってか、僕の中でカンボジアはとてもいい国として記憶されている。

 

 

 

 

#20 人は奢らされて強くなる

最近ビリヤードにハマっている。

ひとりで近所の快活クラブに出かけては練習している。

球がスコンと入る快感はなかなかのものだと思う。

 

ビリヤードは人生だ。なんて言うつもりは全くない。

でもビリヤードは奥深い。

理論上落とせない球は(ほとんど)ない。

力の強さ、球を撞く位置、当てる位置、回転・・・

これらが少しでも違うだけで全く譜面が異なる。

一打、一打で状況がめくるめく変化する。

そんなスポーツである。

 

基本的にはファールでの勝敗を除くと初心者泣かせなゲームだと思う。

まっすぐ打つのがそもそも結構難しい。 

なんでこんなにも練習しているのかといえばタイに行くたびに訪れている

スクンビットのバーの女の子たちになかなか勝てないから。

 

「勝ったら一杯おごってね」

 

毎回この言葉に乗ってしまい、おごらされる。

勝つときもあるんやけど7〜8割は負ける。

タイに初めて行ったときはビリヤードも完全にビギナーで、何杯も奢らされた。

女の子とお酒を飲むのは楽しいし、奢らされることに後悔することは全くないけど、

やっぱいい格好がしたい。ビリヤード上手いところをみせたい。

彼女たちは職業柄毎日やってるから上手いけど、それに勝ちたい。

バーで流れてるCan’t take my eyes off you を聴きながら、好きな女の子とビリヤードで対戦し、球をスコンスコンと落としていのは楽しい。本当に楽しい。そしてあれはエモい。本当にエモい。勝てるとなお良い。異国の地で、自分めちゃくちゃカッコ良くないか?ってなる。

あれは絶対日本では味わえない感覚だと思う。

 

バー関連の話でいくと、四目並べも今研究中である。

皆さんはやったことありますか?単純なようにみえて意外に奥が深い。

京大生がバンコクの小卒の女の子に負けるのだ。さすがにビリヤードと比べて勝率はあがるけど、それでも半分くらいは負ける。帰国後悔しくてアマゾンでポチった。

 

結局男が頑張るときは女の子にいい格好したいからなのかもしれない。

女性はうまくこの特性を利用して上手く経済を回してください。

こんなこというとまたフェミニストに標的にされそうだからやっぱなしで。

でもいい格好したいとか見返したいっていうドライブはかなり強いと思う。

仲良くなりたい女の子いるからタイ語頑張る、とかね。まあ自分のことなんやけど。

 

あの界隈のバーに入り浸っていると、めちゃくちゃビリヤードが上手な30代くらいの日本人サラリーマンをたまに見かける。一目を置かれているしモテている。

早くそれになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#19 ボーっとする

なんとなく家に帰りたくなくて

ビリヤードしたあと近所のカフェで本読んだりしてダラダラしている。

単に一人でボーっとしてたい。独りでポカンとしてる時間が好きだ。

知ってる人がいないところで何をするでもなくダラダラしたい、この感情はなんと言うんやろう。

 

家に帰ると、別に家族が嫌いというわけじゃなくても、

必然的に接着面が生まれる。神経が磨り減る。

本当に落ち着けるのは自室に一人でいるときだけかもしれない。

こういうことを考え出してからはより一層独り暮らしに憧れるようになった。

 

タイから帰ってきて一番に思ったことは

「ラーメン食べたい!」ではなく、

入ってくる情報量多いなということだった。

向こうではタイ語なんかほとんどわからないからノイズはシャットアウトされていた。

タイ文字なんかアンノーンポケモンのあれね笑)だから当然理解できない。

 

でも日本にいると、知らず知らず色んな情報が、望む望まないに関わらず、色々なところから、入ってきている。その感じが久しぶりで少し疲れてしまった。

 

そんな感じでブログを書いてる手を止め、少し伸びをして周りを見回してみると、

自分と同じような人が何人かいた。

仕事帰りのサラリーマン、家事が一段落した主婦、勉強してる学生・・・

たぶんだけど直で家に帰らないのは独りの時間を作りたいからなんじゃないかなとか勝手におもってみる。

みんな知らず知らずに疲れてる

たまにはこういう時間もあっていい。

何をするでもなく、自分と対話しながら、ボーっとするような時間が。

生産性とは程遠いところにあるけど、『人間疲れ』をリセットするような時間が。

 

お腹もすいてきたし

あと30分だけこうして家に帰ろうかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#18 祭りという人間選別

この前僕の数少ない親友と心置きなく呼べる男子高同期とご飯食べた時に、俺らは学園祭を楽しんで来れなかったという話で盛り上がった。陽キャはライブしたり、年に一回校内に踏み入れる女子中学生や女子高生をナンパするし、

文化系陰キャ陰キャで、展示とかでそれなりに活躍の場があるし、

その中間くらいの2軍カーストにいた自分らは(高校野球を辞めてラグビー部に入っていた。)

マジでなにもすることがなくて、展示の後ろで

ゲームしたり、使われてない体育館で鬼ごっこしたりした思い出しか、ない。(それはそれで楽しかったけれど)

 

 

大学入ってもそれは同じで、

一回生の頃はクラス出店に携わって、それなりに頑張ったけれど、

それ以外は何の覚えもなく、

クラスの模擬店のシフトがないときは、先ほどの彼と色々回っていたけど、ほとんど印象に残ってない。

唯一覚えてるのはエロい女医が来て、性相談してたのを彼が行きたがってたことくらいだ(多分時間的に結局行ってない)

 

結局NFはそれきりで、二回生の頃はタイに行ったし、多分今年も行かないと思う。

 

なぜ楽しめないのか

よく言われるのが

プライドが邪魔して祭りに浮かれてる自分が恥ずかしがってるんちゃう?みたいな邪推

たしかに一理あるかもしれないけど

でも正直全然しっくり来てなくて

僕たちが出した結論は

 

祭りというものにそもそも興味がない

 

あったらあったでそれなりに楽しめるのかもしれないけど、自発的に関わって行こうとは思わない、興味のベクトルが向いてないみたいな結論。お祭り人間達を、冷ややかな目で見てるように思われるかもしれないが、いうほどそんなことはない(と思う)

 

たしかに僕は小さい頃から

秋に地元で開催されてる子供神輿の行事が

子供ながらめちゃくちゃダルく、

お菓子があるよ、と親に言われても

いや、外に放置してシケたパックのお菓子食べてなにがおもろいねん誰が釣られるかと思っていた

(ごめん嘘)(ただ全くこのお菓子を欲しいとは思わなかったのは事実)

 

大人になって、これも地元の大人神輿に誘われるが、これも全く行く気がなく、むしろ嫌で、一度だけしゃーなし出たはいいが、周りは地元のヤンチーやガラ悪目のおじさんが目立ち(もちろん普通の人も普通にいるが)、それに怯えていた。

日本酒を掻っ払い、バカ重い神輿を老いも若きも、みんなで担ぐという一体感は楽しかったし終わった直後はハイによる達成感とかあったけれど、一週間くらいは右肩に赤ちゃんを載せてるような、筋肉痛?に悩まされた。

 

結果祭りに対するなんとなくめんどくさいイメージが上塗りされただけで、その後はTOEICやら(もちろん口実で受けてない)サークルやらで断っている。

 

祭りの存在意義は理解してる。これまでは家族と社会を繋ぐような中間集団として、ある程度機能していたと思うし、これからもその機能はそれなりに果たすんだと思う。(ネットの登場とかによって存在意義は薄れつつあるんだろうけど)

 

 

だから結局祭りをあんまり楽しめない人種なのだと思う。僕も彼も。(そういう意味で都会的なのかもしれない)

だから祭りを楽しめる人たちは、貴殿達で好きなように楽しんでくれてていいし少々の羽目外しは目を瞑るから祭りの参加を強要しないでくれ。

これが切なる願いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

#15 教養の英訳、liberal artsもeducationもなんかしっくりとこない

前のブログで素通りした教養、について僕なりの見解を示したいと思います。

まず大前提としては自分が教養あるとか微塵にも思ってないし、まだまだだなと思うことが多々あります。でも意識して身につけよう、その努力をしようとは思っています。では教養とはなにか。

それは 経験知 だと思ってます。

どんなことを経験して、それについてどう感じたり、思ったか、それを自分のものとして咀嚼して、言葉で説明できるか。

もちろん自分が実際見聞きした体験とか、本や映画の疑似体験も含まれると思うし

(だから楽しみ方としてより当事者意識を持つといいと思ってる。当事者意識とか言うと難しく聞こえるけど、自分ならどうするか、とかこういう場面ではこういう行動もアリなのか、とか こういうファッションいいね!とかでもいいと思う笑)

芸術に触れたり、人生の先輩の話をきいたりすることとかも。

単純に考えてみても、毎日部屋にこもってダラダラしてる人よりいろんな国にいったことがある人の話の方が聞いてみたいし、絶対面白そう。

教養ってユーモアとかにも関係してると思う。

同じ環境に留まるのは明らかにラクだとは思うけど、得られるものの上限・幅・厚みは決まっている気がする。

だから常に自分はいろんな経験をしていたいし、そういう経験ができる環境に身を置きたいと考えています。

おもしろそうと思ったら、やってみる(WANIMAの新曲じゃないですよ笑)

危険そうなら、リスクと得られるものを天秤にかけて、でもとりあえず相当危なそうでないなら、やってみる。そういう経験って確かにリスクも伴うけど、絶対"美味しい"と思う。少なくとも人に話したら、おもしろがってくれそうな話だと思う。そういうスタンスでいたいなと思います。

 

そして自分から働きかけたら、環境は応えてくれるんやなということを最近身にしみて実感します。

 

一回生のとき、外れに外れた東南アジアのアイラス。でもこの前タイに行ってきて、そのことを教授に報告しに行ったら、ほかの教授とか院生紹介してもらって、研究室伺ったり、ごはんに連れて行ってもらってるうちに、今まで全く考えてなかった、アジアアフリカ研の院進が選択肢の一つになったり、海外転勤ある会社がいいかも、とか思うようになりました。どうするかは全く未定ですけど、面白い選択肢が出てきたなと思ってます。これはそもそもタイに旅行に行ったこととか、教授や院生に話を聞きに行った結果だと思う。

 

 

確かに教養ってはかりにくい。でも教養って話や行動の節々に、現れる。悩み相談されても自分に、教養がないと、それは辛いなーーとかあっっさいアドバイスしかできないと思う。

自分が尊敬してる大人たちはそう。話が、文章が、面白いし、もっと聞きたい、読みたい、と思わせてくれる。そうなったときはもう一種のファンで、だから教養は人を惹きつける。というかもう教養ある人って顔でわかる気がする。美貌、とは違う、大人で魅力的な顔をしていると思う。だから自分もそういう大人になりたい。そう思われたい。

しかもその教養を身につける営みには終わりがない。だから驕ってしまえばそこで終わり。ある意味、勉強し続ける、継続力のことだとも思います。そして新しい経験知の渇望、好奇心でもあると思う。

で、自分がピンチのとき、一世一代の重要な決断を迫られてるとき、

頼りになるのはなんだかんだ自分自身、自分がどう考えて生きてきたか、つまり自分の教養だけだと思います。なにかあるたびに経験知を演繹して、また帰納して。そうして教養が出来上がると思う。

 

ちょっと自己啓発みたいにうるさくなったと思うし、所々言ってることバラついてるとは思うけど、とりあえず今教養についてはこんな感じで考えています