#18 祭りという人間選別

この前僕の数少ない親友と心置きなく呼べる男子高同期とご飯食べた時に、俺らは学園祭を楽しんで来れなかったという話で盛り上がった。陽キャはライブしたり、年に一回校内に踏み入れる女子中学生や女子高生をナンパするし、

文化系陰キャ陰キャで、展示とかでそれなりに活躍の場があるし、

その中間くらいの2軍カーストにいた自分らは(高校野球を辞めてラグビー部に入っていた。)

マジでなにもすることがなくて、展示の後ろで

ゲームしたり、使われてない体育館で鬼ごっこしたりした思い出しか、ない。(それはそれで楽しかったけれど)

 

 

大学入ってもそれは同じで、

一回生の頃はクラス出店に携わって、それなりに頑張ったけれど、

それ以外は何の覚えもなく、

クラスの模擬店のシフトがないときは、先ほどの彼と色々回っていたけど、ほとんど印象に残ってない。

唯一覚えてるのはエロい女医が来て、性相談してたのを彼が行きたがってたことくらいだ(多分時間的に結局行ってない)

 

結局NFはそれきりで、二回生の頃はタイに行ったし、多分今年も行かないと思う。

 

なぜ楽しめないのか

よく言われるのが

プライドが邪魔して祭りに浮かれてる自分が恥ずかしがってるんちゃう?みたいな邪推

たしかに一理あるかもしれないけど

でも正直全然しっくり来てなくて

僕たちが出した結論は

 

祭りというものにそもそも興味がない

 

あったらあったでそれなりに楽しめるのかもしれないけど、自発的に関わって行こうとは思わない、興味のベクトルが向いてないみたいな結論。お祭り人間達を、冷ややかな目で見てるように思われるかもしれないが、いうほどそんなことはない(と思う)

 

たしかに僕は小さい頃から

秋に地元で開催されてる子供神輿の行事が

子供ながらめちゃくちゃダルく、

お菓子があるよ、と親に言われても

いや、外に放置してシケたパックのお菓子食べてなにがおもろいねん誰が釣られるかと思っていた

(ごめん嘘)(ただ全くこのお菓子を欲しいとは思わなかったのは事実)

 

大人になって、これも地元の大人神輿に誘われるが、これも全く行く気がなく、むしろ嫌で、一度だけしゃーなし出たはいいが、周りは地元のヤンチーやガラ悪目のおじさんが目立ち(もちろん普通の人も普通にいるが)、それに怯えていた。

日本酒を掻っ払い、バカ重い神輿を老いも若きも、みんなで担ぐという一体感は楽しかったし終わった直後はハイによる達成感とかあったけれど、一週間くらいは右肩に赤ちゃんを載せてるような、筋肉痛?に悩まされた。

 

結果祭りに対するなんとなくめんどくさいイメージが上塗りされただけで、その後はTOEICやら(もちろん口実で受けてない)サークルやらで断っている。

 

祭りの存在意義は理解してる。これまでは家族と社会を繋ぐような中間集団として、ある程度機能していたと思うし、これからもその機能はそれなりに果たすんだと思う。(ネットの登場とかによって存在意義は薄れつつあるんだろうけど)

 

 

だから結局祭りをあんまり楽しめない人種なのだと思う。僕も彼も。(そういう意味で都会的なのかもしれない)

だから祭りを楽しめる人たちは、貴殿達で好きなように楽しんでくれてていいし少々の羽目外しは目を瞑るから祭りの参加を強要しないでくれ。

これが切なる願いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

#15 教養の英訳、liberal artsもeducationもなんかしっくりとこない

前のブログで素通りした教養、について僕なりの見解を示したいと思います。

まず大前提としては自分が教養あるとか微塵にも思ってないし、まだまだだなと思うことが多々あります。でも意識して身につけよう、その努力をしようとは思っています。では教養とはなにか。

それは 経験知 だと思ってます。

どんなことを経験して、それについてどう感じたり、思ったか、それを自分のものとして咀嚼して、言葉で説明できるか。

もちろん自分が実際見聞きした体験とか、本や映画の疑似体験も含まれると思うし

(だから楽しみ方としてより当事者意識を持つといいと思ってる。当事者意識とか言うと難しく聞こえるけど、自分ならどうするか、とかこういう場面ではこういう行動もアリなのか、とか こういうファッションいいね!とかでもいいと思う笑)

芸術に触れたり、人生の先輩の話をきいたりすることとかも。

単純に考えてみても、毎日部屋にこもってダラダラしてる人よりいろんな国にいったことがある人の話の方が聞いてみたいし、絶対面白そう。

教養ってユーモアとかにも関係してると思う。

同じ環境に留まるのは明らかにラクだとは思うけど、得られるものの上限・幅・厚みは決まっている気がする。

だから常に自分はいろんな経験をしていたいし、そういう経験ができる環境に身を置きたいと考えています。

おもしろそうと思ったら、やってみる(WANIMAの新曲じゃないですよ笑)

危険そうなら、リスクと得られるものを天秤にかけて、でもとりあえず相当危なそうでないなら、やってみる。そういう経験って確かにリスクも伴うけど、絶対"美味しい"と思う。少なくとも人に話したら、おもしろがってくれそうな話だと思う。そういうスタンスでいたいなと思います。

 

そして自分から働きかけたら、環境は応えてくれるんやなということを最近身にしみて実感します。

 

一回生のとき、外れに外れた東南アジアのアイラス。でもこの前タイに行ってきて、そのことを教授に報告しに行ったら、ほかの教授とか院生紹介してもらって、研究室伺ったり、ごはんに連れて行ってもらってるうちに、今まで全く考えてなかった、アジアアフリカ研の院進が選択肢の一つになったり、海外転勤ある会社がいいかも、とか思うようになりました。どうするかは全く未定ですけど、面白い選択肢が出てきたなと思ってます。これはそもそもタイに旅行に行ったこととか、教授や院生に話を聞きに行った結果だと思う。

 

 

確かに教養ってはかりにくい。でも教養って話や行動の節々に、現れる。悩み相談されても自分に、教養がないと、それは辛いなーーとかあっっさいアドバイスしかできないと思う。

自分が尊敬してる大人たちはそう。話が、文章が、面白いし、もっと聞きたい、読みたい、と思わせてくれる。そうなったときはもう一種のファンで、だから教養は人を惹きつける。というかもう教養ある人って顔でわかる気がする。美貌、とは違う、大人で魅力的な顔をしていると思う。だから自分もそういう大人になりたい。そう思われたい。

しかもその教養を身につける営みには終わりがない。だから驕ってしまえばそこで終わり。ある意味、勉強し続ける、継続力のことだとも思います。そして新しい経験知の渇望、好奇心でもあると思う。

で、自分がピンチのとき、一世一代の重要な決断を迫られてるとき、

頼りになるのはなんだかんだ自分自身、自分がどう考えて生きてきたか、つまり自分の教養だけだと思います。なにかあるたびに経験知を演繹して、また帰納して。そうして教養が出来上がると思う。

 

ちょっと自己啓発みたいにうるさくなったと思うし、所々言ってることバラついてるとは思うけど、とりあえず今教養についてはこんな感じで考えています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#14 朝刊を配達するバイクの音が聞こえてきた時、夜というより朝に眠るという感じがする。

久しぶり過ぎる。なんとタイ旅行前日ぶりらしい。実に4ヶ月ぶり。

タイ旅行記とかテスト中に思ってたこと書き溜めてたりするのだけど、また公開は気乗りがした時に。

 

なんかこうしてバイト終わってから映画一本観て、そんで布団に篭りながら、SNSとソシャゲを行ったり来たりしてると、もうこれでもかってくらい自己嫌悪の波が訪れたり、将来の不安で圧死しそうになる。でも最近思ったのが、その不安な状態にいることに安住してる自分がいるかもしれない。勇気出して一歩踏み出すのが怖くて、不安な安全地帯にいることを望んでしまってる。不安を感じてる自分、がデフォなんじゃかいかってくらい居心地の良さを感じてしまってる気がする。だからとりあえずできることから、将来に向けての準備を。実用面では語学、TOEICの勉強だとか、もしくは、数値では測れないけど、今後絶対自分の根幹になる教養を意識して身につけること(自分への投資!!)、とか。それとかSNS、もっと目的意識を持って利用してもいいかもしれないし面白いかもしれない。できることから始める。走り出してみてる。なんかもう手垢ベトベトの月並みな表現だけど。そういえば運命って努力した者だけに架かる偶然の架け橋らしい。今日一日自分は自分のためになるような努力できた?と夜寝るときに問いかけて、自信を持ってYES!と言って、眠れるような1日を1日でも多く過ごしたい。そんな日が続けば、運命も味方してくれる気がする。

春休み、長いようで短い。大学生活はもう2年が終わろうとしている。ここまで何をしてきた?ここらでちょっと意識改革を。朝というより昼、起きて忘れてないことを祈りたい。

# 12 落とす阿呆あれば拾う神あり

僕は物をよく落とす。

大学入ってから定期落とした回数は片手の指だと足りないし、ピタパは2回止めてもらった。(2回目の時、〜月〜日に止められてますよね?って怪しまれた) 

定期は買ったばかりの四月に落として定期買い直して親にキレられたこともある。

そのほかにもおそらく多くのフォロワーが行ったことないであろう事務本部棟に定期入れを取りに行ったり、警察署にもお世話になった。

定期は先日落とした際、拾ってくれた人が報労金の権利主張して来て10%分送金することになったのもみんなあんまり経験したことないと思う。(9割以上は拒否するらしいから)

 

そのほかにも鍵は落としすぎて親に呆れられて今現在スペア作ってもらえてないし 、

ルネでごはん食べてて学生証を台に乗せたまま回収させてしまったこともあるし、

現役の時には京大教育学部も落とした。(←やかましい)

 

財布に至ってはカナートのユニクロのあのトイレに忘れたこともある。なぜに。もはやバカ。

財布、鍵、定期入れ。落し物の役満である。

それとか財布か定期入れかどっちか忘れたけど、笠置山に行った際、行きの電車で起き忘れてテンション地平線、後日京橋まで取りに行ったこともある。

とりあえず落とすエピソードには事欠かない。

 

毎回落とすたびに思うのが感心するくらい意外にちゃんと返ってくる。体感8割くらい。この世は意外に優しい。落として言うのもなんだけど、まだまだ捨てたもんじゃないなと思う。(落し物だけにね)

警察に届けると、結構書類とか面倒くさくも書かされるのに。この恩は自分もそうすることで返していきたいと思う。そして報労金受け取る大人だけには絶対ならない

でもその頻度以上に物を落とすと思う 拾ってくれた人はよろしくお願いします

 

この前観た映画に

「人はなぜ落ちるか」「這い上がるためだ」というセリフがあった。それっぽく言うなら

 

 

「僕はなぜ落とすか」「拾う人と出会うためだ」 

 

 

 

それは違うか。

 

#10 何者にもなれない

いい映画を観た後やいい小説を読んだ後はその余韻から創作意欲が湧く。自分も何か生み出してみたいと思う。だからワードを開いて書きかけの小説を再開しようと思うも、自分の発想や表現の拙さを悟り、すぐ断念する。せめて、との思いからこうしてブログを書いてる。根気や体力がないのだと思う。才能がないと自覚しながらもそれと正面から向き合い、努力し続けることができない。個人的に努力に才能は関係ないと思ってるし、そう思いたいから自分の問題。努力できる人は努力するのが"上手い"のだと思う。自分は間違いなく"下手"な分類なのだとは思う。京大に入ってから一層そう思う。どうしても周りと見比べてしまう。何かの実現のために現在進行形で努力してる人が多いと思う。とんでもないところに来てしまったと思う。でも同時に逆に周りに影響受けて自分も頑張ろう、頑張らねばと思う時もある。これ以上いい環境はなかなかない。だから結局いいところに来たなとも思うのである。自分も何か、ライフワークのような、努力し続けることができるものを見つけられたらいいと思う。てかもうある人に言わせれば努力と思ってる時点でダメなのかもしれないけど。

 

ところでなぜブログを書いてるかについてあまり触れてなかったと思う。これはまた改めてブログにしようと思うし書くべきだと思ってるのだが、少しだけ。客観的にみれば間違いなく"イタい""イキリオタク"ブログを書いてて恥ずかしくはないのか。ないといえば嘘になる。Twitterとは違って、全フォロワーに見られないという心理的ハードルの低さとあると思う。でもやっぱり今は書きたいと思う気持ちが強いしまさってしまう。今考えてることを、未来の自分も含めた、読者がいることを想定した上で、見えやすい形で残しておきたい。というか書くこと自体が好きなんだと思う。じゃないと去年の学期末にあんな長いFacebookを投稿したりしない笑

知らない人は是非フォローしてください笑

自己顕示欲もあると思う。けど記録や自己満足の側面もある。

だからこれを読んでくれてる人には大目に見て欲しいと思う。というか感謝しかない。なんだかんだアクセス数が増えると喜んでるのだから。

 

 

 

ブログを書いててふと思った。

今後優れた作品を生み出せなくてもいいから、これだけは知りたい。

偉大な作家は、僕が好きな作家達は、理想と現実、才能と実力の狭間で悩みながらこうして眠れない夜を過ごしたのだろうか。

答えは確認できないけど、多分答えがどちらであれ、こうして悩んでいる自分が安心できるような問いを設定したのかもしれない。

 

何者にもなれない。

それでもロッキーのように、たとえ負けたとしても、最後まで戦い抜いて立ってられたら人生も悪くないと思えるはず。

だから明日も一日頑張ろうと思う。

 

#9 映画や小説について

 

 

少しだけ映画や小説について書いてみようと思う。

フォロワーなら知ってると思うが僕は観た映画や読んだ小説について感想ツイートする習慣があり、一部のフォロワーには鬱陶しがられてるだろうなと思いつつもミュートしないでいただけたら幸いです。特に知り合いにミュートされてると悲しみます。 

(ちなみに映画ツイートの評価の判断基準は

★★★★★ 観た中でもトップクラス

★★★★☆ オススメ!

★★★☆☆ こんなもんかな

★★☆☆☆ まあもう見ることはないでしょう

★☆☆☆☆ 時間と金の無駄

でつけてます。参考までに)

 

なぜツイートしてるかについて。Twitterは自分の中で日々の記録みたいな媒体でもあるので備忘録として残しときたい。まあ一応アプリでも感想は残しているがTwitterの方がよく使うし振り返れる。自己顕示欲や自己満足の側面も否めないけど、ツイートすることでフォロワーの方が「自分もあれ観た!面白かったよね」とか「自分はそうは思わなかった」とか話が広がることを期待してたりもする。感想大歓迎です。

 

僕はちょうど一年前くらいから意識的に映画を見始め、記録をつけてから100本以上観てきた。映画は無限にあり、在学中に出町ツタヤの映画を制覇するのが夢なのでまだまだである。

今大学生って自由な時間多いけど、意識的に作品に触れようとしないと時間ばかりが経って行くし結果何もしないままのことが多い、だから今のうちになるべく多くの映画や小説に触れておきたいと思ったのが始まりである。

あとになっても触れることはできるけど、20代の今触れることは当然ながら今しかできない。20代の自分だからこそ心の琴線に触れる作品もあると思う。だから今少しでも多くの映画や小説を浴びるようにして触れていきたい。少し高尚なことを述べたが単純に映画や小説が好きで、2時間や3時間で何か得れた気になるのがいい。映画や小説はもちろん読み手に自由な解釈が許されてるし、だから感想は自分の言葉でまとめたほうがいいと思ってる。なるべく安直でわかりやすい言葉に流されないように。圧倒的な感動の前に言葉は無力ではあるけれど、それに近付けることはできると思う。今後、少しでも思ったことや感動を伝えたり再現できるようにできたらいいなと思う。だから先ほどのツイートの話にもつながるのである。面白かったなぁだけやと忘れてしまうから少しでも忘れないようにとの意味合いもある。でもたまには他人の意見や評論も読んで、こんな意見もあるのかとかそうそうこうやんな、とか確認することと大事なのかなぁと思う。偏らないためにも。

 

映画や本を選ぶ作業はワクワクする。だから一週間のうちで一回も本屋とレンタルビデオ店に行かない週はない。もちろん借りたり買わずに帰ることもある。一枚、一枚または一冊、一冊手にとっては説明を読んだりして、じっくり決める。本好きや映画好きにはわかってもらえると思うが、その作業込みで映画や小説は成立すると思うし、気がついたら小一時間経ってることもザラにある。これにはどんな世界が詰まってるのだろうと考えるとなかなか決められないのである。

 

映画についてもう少しだけ。

映画が人生を変えたり、人生観に影響したりすることはそうそうない。100本に1本もないと思う。でもそれくらいの割合で本当に面白かった!と思える映画と出会えるのも事実。自分だけが面白いと思えるような映画も存在する。反対にこれ世間では面白いと言われてるのにつまらなかったなぁというのももちろんある。普通・普通に面白かったくらいの感想のものが大半だとは思う。

でも少なくともこれだけは言えるのは自分が知らない世界を見せてくれるし、入り込めば入り込むほどその場にいるような臨場感を味わえると思う。その分悲しくなったり、怒ったり、時には主人公とともに喜んだり、最後に大きな感動に包まれたり。とりあえず自分が経験できないような、人生や世界を見せてくれるし体験できる。だからやめられない。

 

 

僕は映画をパソコンに入れ、オープニングと共に、

「これからどんな世界を見せてくれるのだろうか。どんな人生を体験できるのだろうか」とワクワクするのである。

 

 

 

 

#8 コンビニの楽しみ方

 

 

コンビニが好きだ。

コンビニで働いてもう1年4カ月になる。

職場の人間関係に居心地の良さを感じているのも否めないけど、

なんだかんだコンビニが好きだから続いてるみたいなところがある。

(とは言いつつも最近は辞める時期を模索しつつある。そろそろ別のバイトもしてみたい)

今日は自分なりのコンビニの楽しみ方を披露してみようと思う。

 

まず個人的にはファミマによく行く。

Tポイントがたまるからであり、10月15日現在で9000ポイントを超えている。

まあそれでもセブンイレブンやローソンもよく行くし、ポプラなど見つけると少しテンション上がったりさえする。珍しい商品に出会える可能性が高いからである。

 

 

初めて入るコンビニでは

どんな人が働いてるのか(可愛い店員はいるのか

店員間の雰囲気はどんな感じか

イートインはあるのか?

店やトイレは綺麗か?

商品棚はどう配置されていて、どこに何があるのか

FF商品(ファミチキとかである)のストック数はどれくらいなのか

自分がここで働くとしたら?

自分の店には置いてないけどこんなん置いてるのか〜〜

とか見るところはたくさんあるし

いつも行くコンビニでも

今日はあのいつもの綺麗な店員さんいないかな〜〜とか横目で確認する。 

 

そして商品。

これはよくみると売れるための試行錯誤が結構なされてて面白い。

たとえばこの前○ーソンに行った時の話。

バイト前に食べるパンを探してたら、

「ちぎれる〜パン」シリーズが目に入った。

これはよく考えてみると少しおかしい。

ちぎれないパンは言うてないからである。

言うほどのことでもない。

このパンは確かに区画分けされててちぎりやすく

小分けしやすくなってて、そこをアピールしたかったのだと思う。

けど「小分けしやすい〜パン」や語呂がわるいししっくりこない。かといって「ちぎりやすい」だとちぎれない時もあるのか?とかなってしまう。こうした苦悩の果てにちょっとおかしい日本語が生まれてしまったのだなあと思いながら、僕はおにぎりをレジに運んだ。 

 

  

他にも自分でおいしいと断言しちゃう超ナルシスト系牛乳「おいしい牛乳」だったり、

スイーツチーズではなく「スウィーツチーズ」で高級感、違いがわかってる感出そうとしてるチーズなど、

よく読んで考えてみると面白い。これからも面白い名前の商品を探したい。  

 

売れる工夫としては同じ商品でもパッケージを変えることで目新しさを出したり、この商品買えばポイントがさらにつく、といった商品を設けることで、購買意欲を掻き立てたりなど様々である。

 

また新商品はバイト中、品出しや納品作業時にいやでも目につくから、バイト終わったらこれ買って帰ろ〜〜とかいうことはザラにある。

 

そもそもコンビニの商品は入れ替わりが早い。まさに戦国時代である。一回仕入れがなくなったと思ったらまた入ってきたり、その分野で 不動の地位を築いてたかと思えば、下克上されたりと様々。逆に言えばずっとある商品はなんだかんだ売れてるし強いのである。

 

そしてレジ。

レジではいくら待っても、いくら向こうに不手際があっても、イライラしないことを心掛けている。店員が忙しそうな時や、ファミポートやアマゾン、宅急便の時は少し申し訳なさそうにする。

これは自分が店員の時、ありがたいし失敗しても笑って許してくれる客に救われるからである。そもそもイライラは伝染する。

また忙しい時に俺は客だと言わんばかりにポーンと商品やレシートを、置かれるとイラっとするからである。

またなるべくありがとうございますを言うようにしてる。これはまた別の機会に書こうと思うが、コンビニ店員は底辺だと思い、ぞんざいに扱う客も少なくはない。

だから僕は感謝を伝えることで

口に出さずとも心の中で僕もコンビニ店員です、あなたの気持ち痛いくらいにわかります

というメッセージを送っている。

 

 

 

 

多分届いてないけれども。

 

 

 

 

 

 

 

今度また違う機会に個人的に好きなコンビニのメニューを紹介したい。今回は一つだけ。

 

コンビニおでん

これはどこでも結構美味しい。マストバイは糸こんにゃくとたまごかな。冬のバイト終わりに食べるおでんは本当に最高である。またそういう季節がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

今日もコンビニで6時間働いてきた。

特に何もトラブルなく終われたし、常連さん達とも会話できたから今日はいい眠りにつけると思う

コンビニ店員としての苦悩は日々Twitterに垂れ流してるが、ブログにもしてみようと思う。でもそれはまた別の機会に。

おやすみなさい。